こ挨拶


 イエスはパンを裂いてお与えになり、すべての人が食べて満腹した。
(年間第18主日のミサの福音)

 キリスト教は”other world philosophy”(あの世の哲学)であるが、私は“this world philosophy”を説くとカール・マルクスは言いました。ごく短く(乱暴に)その主張を要約するなら、次のようになりましょう。

 キリスト教徒の資本家たちは、労働者たちに過酷な労働を強い、搾取する道具として宗教を利用している。「この世で苦しめば苦しむほど来世の報いは大きいのだから、今は苦しいだろうが天国目指して働け、働け!」と。来世の幸せという幻想によって現実の苦しさを忘れさせ、苦痛に対する感覚を麻痺させる役割を果たすという意味で「宗教は阿片である。」という結論になったのでしょうか?

 マルクスが生きた19世紀のヨーロッパには、その批判が当たる要素も多分にあったに違いありません。当時のキリスト者が、キリストの教えと模範に忠実に従っていれば、その批判は成立しなかったでしょうが、そうであるとは限らなかったため、マルクスとその思想に共鳴した人々が、この世で現に苦しんでいる「持たざる階級の人々」のために立ち上がったとも言えましょう。

 主キリストご自身にマルクスがお会いしていたら、キリストが ’other world’のみを強調して、‘this world’を無視されたのではないことが分かったはずです。キリストは、そのみ教えを聞こうとして人里離れたところにとどまり、このまま帰せば途中で行き倒れになるかもしれない人々の身体の糧のことを心配して、五千人の人々に、「この世のパン」を与えられたのでした。キリストは、この世で、目の前で苦しんでいる人々の病をいやし、痛みを取り除き、盲人が見えるようになる恵みを与えられました。

 21世紀を生きる私たちも、キリストに倣い、今生きている現実の社会の様々な問題(this worldの)に目を向け、そこで苦しんでいる人々のために何ができるか?何をすべきか?を真剣に考え、社会正義の実現のため、平和な世界の建設のために力を合わせて働くようよばれています。同時に、キリストに従ってこの世を歩むとき、キリストはこの世がすべてではなく、十字架が終点でもなく、キリストとともに永遠の命に復活することこそ、私たちの究極の目的であること, other world を目指すべきことをお教えになります。  塩谷惠策SJ


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    ※(8/3更新)8~9月黙想のご案内

   ※( 〃  )イニゴは夏休み中です。

   ※8月の予定にはありませんが、急遽8日間の霊操を一つ加えています。


   

目的

  • 祈りの体験を通して、信仰に基ずく深い人間的、霊的成長を望む人々のニーズに応える
  • キリスト教的霊性を深める道を探し、信徒、修道者,司祭がともに協力しながら祈る教会としての姿を  求 める
  • 広島(要請委員会・霊性委員会)の活動に協力する。
  • イグナチオの霊性に親しむ。
  • 信徒の方々に合う祈り方、瞑想などを体験し、東洋の霊性と瞑想の場を提供していく。